神社に一礼

京都、滋賀を中心に訪問した神社を紹介するブログです。

桜満開『中の島(宇治)』

今回ご紹介するのは宇治川の中州『塔の島・橘島』です。

どこそれ??

宇治観光の経験がある人でももしかしたらこう思う人も多いかもしれません。
宇治観光のエリアは大きく分けて2か所、宇治神社宇治上神社興聖寺辺りが有名な宇治川の東岸と、平等院とその表参道がある宇治川西岸で、両者の間には幅広く、流れの速い宇治川が。f:id:aoi0730kanon0930:20190406183339j:plainその間には中州のような島があって、よく見るとこれは二つに分かれています。下流側(駅側)が橘島、上流側が塔の島、これら二つを総称して中の島と言います。
この中の島と宇治川両岸は春~秋にかけて四季折々楽しむことが出来るエリアなんですが、その一番の見せ所は何といっても桜の季節。

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川岸を埋め尽くさんばかりに張り出す桜は圧巻の一言。
では、今回はそんな中の島をご紹介します。

中の島って?

京阪宇治駅を降りるとすぐ脇に大きな川が見えます、宇治川です。
宇治川は宇治の観光エリアを東西に二分するんですが、その川の間にある島が中の島と呼ばれています。今は『京都府立宇治公園』として整備されていて、朝はジョギングや犬の散歩、昼は犬の散歩、夕方も犬の散歩ルートとして定番化しているスポットです。

かなり偏った意見です☆

島は下流側の『橘島』と上流側の『塔の島』の二つが連なってできています。

橘島

橘島~宇治川西岸の桜

下流側の島で、東岸(宇治神社側)を朝霧橋、西岸(平等院川)とを橘橋で繋がれている島です。絶賛謎の改修工事中でずっと景観はいまいちなんですが、西側に面する桜の木は健在。

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左が朝霧橋、右が橘橋

橘島と宇治川西岸の間は川の流れが穏やかに抑えられていて、乗合船が出たり、夏は風物詩『鵜飼』を楽しめたり、たまにどっかの大学のボート部が練習していたりします。
そして、この宇治界隈で桜が最も見事なのがこの橘島~宇治川西岸の両岸。川を挟んだ両側に桜の木がせり出し、枝一杯に花を付けます。

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左:宇治川西岸から見た橘島、右:宇治川西岸の遊歩道

昨日は近畿各所で桜満開でかつ快晴という絶好の花見日和となったわけで、いい写真が一杯撮れましたので、そちらは後日画像集としてアップします。

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海鵜小屋

宇治川における夏の風物詩、鵜飼。最近は女性の鵜飼(鵜匠というそうです。)がいるという事でも話題になったりしましたが、こちらには鵜匠ではなく鳥の方が飼われている小屋があります。

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鵜飼というのは今でこそ観光の見世物のようになっていますが、実はずっと昔から大体平安時代には既に行われていたとされています。
藤原家が長谷寺見物の帰りに鵜飼を見物し、その頃は今よりずっと盛大に何艘も浮かべて行われていた鵜舟がそれぞれにかがり火を焚き、鮎を取る様はさぞや見ごたえのあったものでしょう。

今見掛けるのは2艘程度ですが、それでも夏を感じる風物詩として見ごたえがありますよ☆

やがて平安後期になると仏教の観点から宇治川でも殺生を戒める風潮が広まり、西大寺の僧、叡尊はついに宇治川での殺生禁止を命じる太政官符により漁具などを塔の島近辺に埋めさせ、十三十石塔を建立して魚霊を供養したとされています。
この時事実上宇治川の鵜飼の歴史は一度幕を閉じます。
再開したのは大正に入ってから。今では漁業としての目的はほぼ失われてしまったものの、夏の観光の目玉として多くの人に親しまれています。

塔の島

橘島の上流側、宇治川西岸とを喜撰橋で繋ぐもう一つの浮島です。

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喜撰橋から見た宇治川上流

鵜飼のくだりでも出た十三重石塔があるのがこの塔の島です。
現存する石塔の中では国内最大とされているんですが、この塔実は魚の霊供養の塔です。

ええやん別に☆

個々の上流側も謎の護岸工事のせいで景観はいまいち。

歴史の舞台となった中の島

西岸の平等院、そして東岸の宇治神社宇治上神社の建立は平安時代とされています。
古くから交通の要衝だった宇治は度々合戦の舞台としても名前が上がります。
中でも源家対木曽義仲宇治川の戦いが一番知名度が高いかと思います。

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源家頭領、源頼朝とは従妹にあたる木曽義仲、平家打倒の上では一緒の道を歩んでいた二人はその内に道を違えてしまいます。決定的やったのは義仲の京都への上洛。
一言でいえば俺の先越しやがって。頼朝との対立は決定的になり、かつて自分で追討した平家との連合に失敗し、後白河法皇を幽閉するという当時でいえば神を牢屋に閉じ込める暴挙に出た義仲はどっから見ても空気の読めない奴になってしまいます。

生来、素直で実直な性格やったので、権謀術数の渦巻く京都になじめなかったともいわれていますね☆

一方、これに乗じたのが源頼朝。義仲追討という自分の恨みと大義名分とを併せ持つ格好の口実を得て、一路平安京へ。
瀬田川からくる源範頼軍、宇治川から源義経軍を迎え撃つべく兵を向かわせる義仲でしたが、あえなく撃退。2合戦の内、早く決着がついた点などから宇治川合戦とか宇治川の戦いとか呼ばれるわけです。
この時代の合戦は関ケ原なんかとは違い、一騎打ちが基本、なので宇治川を挟む東西両雄が居並ぶ様は見ごたえのあるものでしたでしょう、距離を置いて見れば。
合戦とは言えど法皇幽閉などで味方からも徹底的に人望を失っていた義仲軍は、合計千程度。これを瀬田川500、宇治川300に分けて派兵。対する頼朝軍は源範頼軍3万、義経軍2万5千と矢一本放ったら80本返ってくるような兵力差だったので、実際にはまともな合戦にすらならなかった事でしょう。

アクセス

京阪宇治駅より徒歩9分。

まとめ

今回はこれで以上です。
中の島は残念護岸工事の点を除けば景観が素晴らしいんですが、両岸の名所の知名度が高すぎてつい深く考えずに島を素通りしてしまうところなんですが、島自体も風光明媚で見ごたえのある場所です。
春に桜、夏に緑と鵜飼、秋に紅葉、冬は雪積もらないのでただ寒いだけなんですが

オチに使うなよ☆

四季折々に楽しみのある場所です。まだ訪れたことのない方、また来てみようという方、一度島と三つの橋にも目を向けてみてはいかがでしょうか。

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