神社に一礼

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さようなら、全てのエヴァンゲリオン。26年越しにエヴァから卒業します。

皆さんももう既に行っただろう、もしかしたら二度目の鑑賞を計画中かもしれない『シン・エヴァンゲリオン』の感想です。感じ取ったテーマは卒業、そしてファンへの感謝、そんなものがありありと感じられる内容でした。
今回はちょっと当時乗り遅れた、もしくはブームに入っていけないので見ることを躊躇している『シン・エヴァンゲリオン:||』についてそっと背中を押そうという余計なお世話な企画です。

26年越しのエヴァンゲリオン

アニメ発は1995年

需要も無かろうという事で、具体的な数字はさておき26歳若かった僕の中で、当時ダントツで印象に残ったアニメ、それがエヴァンゲリオンでした。放送時期は1995年10月~1996年3月というアニメ枠2クール。いつも表面をかじるだけの僕に詳しいことがわかるはずもありませんが、いわゆる第三世代アニメを代表する作品なんだとか。
で、全26話を見終わった印象は『訳わかんない』。

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汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン試作初号機

基本的な構成はかなりシンプルです。襲い来る『使徒』と呼ばれる人類の敵を倒すために14歳のパイロットたちの奮闘を描くロボット格闘。語弊とか両者の違いとかを全く無視して言ってしまえばガンダムです
こんなわかりやすい設定の中に14歳なりの葛藤とか苦悩、努力、成長、笑い、涙、感動ありとシンプルに楽しめそうで、実際面白かった印象がある一方で訳わかんない
特に第25話・26話なんてもはやアニメと呼んでいいのか、アニメってなんだっけなんてそんなアニメの定義にすら曖昧にしてくれた、それがエヴァンゲリオン初期作でした。

そんなエヴァが映画化(1997年)

強烈な印象だけ残して、怒涛の勢いで過ぎ去っていったエヴァンゲリオン。その放送から一年経ったある日、映画化の続報が飛び込みます。内容はその訳わかんないの集大成25話26話のリビルドとアナザーストーリー。
(耳馴染みとしてはリメイクでいいんですが、以降表記はリビルドで統一します。)
絶賛中二病を患っていた僕と僕の周囲はものっすごい背伸びをしました。
理解できなかったその訳わからん感を払しょくしてくれるかもしれないという期待もあったのかもしれません。そしてその結果、もっと訳わからんくなって帰ってくることになったのでした。
確かに前作で語られなかった、何で突然そうなった的な部分の補完はなされていましたが、それを上回るだけの疑問が増えた。そしてそれを理解する宿題だけ残してすーっと消えていったのでした。

抽象画の名画ってわかる人にはわかるけどわかんない人には全く分からないですよね。でも作品に込められた熱量だけは伝わってきて、わかんないけどなんかすごい。そんなイメージを思い描いていただけるとよいかもしれません☆

リメイクされて戻ってきたエヴァンゲリオン(2007年~2009年)

エヴァンゲリオン序・破

青春の1ページを思う存分、灰色に塗りたくってくれたエヴァンゲリオンは一旦の終結を迎え、キャラクターをほかのメディアなんかで見かける程度、あとはパチンコ・パチスロで見かけるほかはすっかり鳴りを潜めていたエヴァンゲリオンが約10年の時を経て帰ってくるというニュースが飛び込んできます。

再び燃え上がるエヴァ熱、これは、いかねばならぬか

内容は序が旧作1~6話のリビルド版、破が~19話。大まかなストーリーだけでいえば全部知っている内容で、実際新鮮というより懐かしい、そんなイメージでとらえた作品でした。が、それでも足掛け12年の時を経た作品は単純に映像の綺麗さ一つとっても、より洗練された作品となって帰ってきました。

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地味に旧作と比べ変わっていた点もありました。そしてそれは全部見終わった今初めてわかる仕込みなわけですが、この時点ではその密かな変更点は意図すらわからないような細かなものでした。下記はその一例。プロの方々に言わせるとものっそい違う点は多くあるんですが、ここでの主旨は違う点もありましたよ~という事が書きたかっただけなので極々最低限に。

主要人物の名前の変更と新キャラ投入

エヴァンゲリオンQ(2012年)

思う存分楽しませてくれて、そして期待とともに裏切られてしまった感。
今更エヴァンゲリオンを語る上で言うまでもありませんが、そんな相反する色々ないまぜになった感想を抱くことになったのが三作目のQでした。位置づけ的には25、26話に繋がるアナザーストーリー版にあたるのでしょうか。ですが、特筆すべきはこれも後付けの解釈になりますが、20話~24話が全く違うストーリーで描かれている点です。物語のキーマンとしてもキャラ自身の魅力の点でも圧倒的人気を誇る渚カヲルが登場し、そして旧作同様、圧倒的存在感を残しながら一瞬でどっかいっちまう、そして大人になりかけたシンジ君が再びあかん子になってしまう
単体としても見ごたえがあるのに、実際それだけ時間をかけて見ごたえある作品として作りこんできているのに、後から見れば三作目を完全に助走扱いだったというのは庵野監督(エヴァンゲリオンの監督)が如何に自由にこの作品を作りこんでいるのかがわかります。

庵野秀明 - Wikipedia

西暦2000年前後くらいには綾波レイの声役を務める、個人的に女性声優の頂点に君臨すると確信する『林原めぐみ』さんの深夜ラジオ番組(林原めぐみのハートフルステーション。残念ながら2015年番組終了)なんかにも登場し、リスナーの苦情(僕が聞いた時は『彼氏彼女の事情』のアニメ最終話の話題。)について、リスナーと一緒になって責め立てる林原めぐみさんへも気さくに答える、すごい人なのにどこか身近な人だったのが、今やアニメの枠に捉われない日本を代表する名監督になってしまいました。

さようなら、全てのエヴァンゲリオン

本映画のサブタイトルでもあるこのワード。昨今のコロナ事情で昨年から1年越しで味わう事となったこの何とも言えない感情は、聞きようによっては不謹慎なのかもしれないですが、コロナによって無駄に一年棚上げにされ、否が応でも倍加する期待感がありました。コロナ蔓延は本編とは一切関係のないんですが、一年待たされたんやから並の作品では満足せんぞ、そう思わされた1年越しの公開でした。
ですが、本作はそんな自覚なく高められた期待を見事上回ります。
いえ、そんなレベルではありません、『コロナによる一年延期』それ自体が演出にすら思えてくる、それほど作りこまれている内容でした。
コアなファンの方々はもうほんとに深く愛していて、その愛が深すぎて僕程度のライトなファンが語るには僭越さを感じてしまうんですが。
本作品を集大成と呼ぶにふさわしいと感じた点は大きく以下の三つです。

視聴者に歩み寄った点

上述の通り、理解するのに一苦労、そして大抵の人はわかったような気になるだけ。そんな内容を理解できること自体が(マイナスかプラスかはさておき)一種のステータスになる。それがエヴァンゲリオンだったわけですが今回は違いました。目を見張るようなビジュアルと、笑いと、そして何より感動を届けてくれたのは言うまでも無い事ですが、何より今までの見たけどよくわからないというモヤっと感が全くないんです。

彼女というのは遥か彼方の女と書く。女性は向こう岸の存在だよ

はるか向こう岸で魅力を思う存分振りまきながら、ちっともこっち向いてくれることがなかった魅力的な人物が、最後の最後に自分の等身大まで下りてきてくれて、しかも手を携えて丁寧なナレーション付きで感動を伝えてくれた、そんな感じでした。絵にするとこんな感じ。

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半沢直樹』より

色んな部分が違うけどね☆

少なくとも理解できないモヤっと感なし、4作目なので流石に本作からという訳にはいきませんが、コアなイメージ強めなエヴァンイメージは見事払拭され、誰が見ても楽しめる作品に文字通り変貌していました。

シンジ君がはっきり成長していた点(以降ちょいちょいネタバレ含みます。)

14歳と聞いて自分がどんなだったか思い浮かびますか。はっきりと浮かぶかどうかは別にして、思い出すと結構恥ずかしい思い出の多い年ごろやったんやないでしょうか。

そこは今も変わらんやろ☆

大人の階段の~ぼる~ではないですが、ちょうどもうすぐ大人になるという自覚が出てきて、周りには背伸びして大人の真似をする人もちらほら出てきて、そして性への興味も出てきて。主人公のシンジ君はそういった意味では幼少期の生い立ちのせいでだいぶこじらせた感はあるものの、内向的な、でも友達や恋人を求めて、Hな事にも興味を持ち始める典型的な14歳でした。
エヴァという作品に込められた一番わかりやすいテーマはシンジ君の成長を描くドラマです。
『序』で嫌なことに向き合えるようになり、『破』で冷徹な父との確執を経て自分の思いの為に困難に立ち向かう事を覚え、『Q』で自身の思いによって起こった惨事を無かったことにするという都合の良い事を考える子供へと逆行。
そして、今作。やることなすこと全てが裏目に出てしまい、再びふさぎ込んでしまった中、かつての同級生が自分の引き起こしてしまった惨事を経ても力強く日々を生き抜いている姿と、献身的に自分の心に触れようとする綾波レイ(のそっくりさん)のお陰で再び心を開きます。
かつての成長したように見えたシンジ君ではない本当に成長したシンジ君の姿がそこにはありました。
シンジ君含む碇家は父ゲンドウがやらかした感のある人だったのがそもそもの発端でした。人に興味を持たなかったゲンドウ君は初めて出会った心を開くことが出来る碇ユイという人物に出会い、そしてそのユイをロストした悲しみに耐えきれず、息子であるシンジ君を意識的に遠ざけます。それがシンジ君のトラウマのような幼少期の原因だった訳ですが、一方シンジ君を遠ざけ更に孤独を感じることとなったゲンドウ君が、失った碇ユイを取り戻す為に計画実行したのが人類補完計画(を利用したアディショナルインパクト)でした。
シンジ君的にはその煽りを受けた格好だったのがこの作品の当初だったわけですが、純粋といえば聞こえはいいものの、言ってみれば自分のわがままで全世界を巻き込んだ計画を実行した身勝手な父親に寄り添い、そして力づくで制止するまでに成長したシンジ君を最後まで見て終わることが出来た。
敢えて京都弁で表現するなら

あんなお気張りやしたシンジ君は結局どないしはったんやろう?

という心配もしっかりと補完してくれた作品になっていました。

筆者の中途半端な京都弁はともかく、見る側の気になる部分に寄り添ってくれる感が確かに感じられる内容になっている一つの表出と言えるかもしれません☆

主要キャラの結末がハッピーエンドだった点

旧作映画を見て、堂々ラストを迎えた感想を一言で表すとこうなります。

で?

それ、一言じゃなくて一文字やな☆

まあ並外れた、例えば感性とか知性とかエヴァがあればあるいは理解できたのかもしれませんが、そのいずれも持ち合わせていない凡人の僕は、お金払って二時間コーヒー飲みながら映画鑑賞して多くの疑問と共にもやもやを持ち帰った、それが旧作でした。

少なくとも努力をするのは伝える側でなく完全に見る側に。作品への深い考察も楽しみ方の一つとして与えられていたんですね☆

そんな訳ですから、エンディングで自分の好きなキャラもそうでないキャラも含め、最後どうなったのか。そんなものが教えてもらえるなんていうのはもっての外。そもそも物語自体どう完結したのかすらその場ではわからない中で、各キャラの事情なんて勝手に想像すれば?というお話だったのかもしれません。
それが本作はどうでしょう、余すとこなく主要キャラクターの結末までがしっかりと、そしてはっきりと描かれています。これは意外でした、多くを語らない、そしてハッピーエンドを求めない、そんなイメージとはかけ離れたラストでした。
カップリングの個人的希望および観測との不一致は別にして、主要キャラが誰とどのように幸せを掴んだのか。それがしっかりと描かれていたのはすっきりとした感覚、良かったという安堵と共に寂しいと感じさせられる部分でもありました。
余韻を残すのがエヴァですから。次回作への余韻を残し、期待を引っ張り、目いっぱい考えさせられるのがエヴァなのに、差し挟む疑問を解消していく

エヴァはもうこれで本当に最後だ

とお別れを告げている。
言葉にするのは難しいですが、結末が描かれている事そのものが一つのメッセージだと感じました。

まとめ:エヴァからの卒業

今回は以上です。
長々と書いてきましたが、見終わって初めて感じたというかわかったのが、ああ、本当にエヴァ終わったんだなという焦燥感と、それを経て初めて気づいたエヴァンゲリオンにずっと終わってほしくなかったという思いです。
口ではもしかしたらシン・ゴジラとか作ってる暇があったらエヴァ作れよとか、言っていたかもしれません。

言ってたやろ☆

ですが、いざ終作を経てみると巷で言う福山ロスとか逃げ恥ロスとか馬鹿じゃねえのと毒づいていた僕が感じたのは26年という四半世紀の時を越えたエヴァロスでした。
子供のころありましたよね、好きなアニメやドラマが終わってしまったときの悲しみ、それを大人になっても言っているのが〇〇ロスで自分が興味ない作品や人物に対する感情に対しては馬鹿じゃねえのと言い切れるんですが

世間一般にそれは身勝手というんや☆

いざ自分が直面すると寂しさを通り越した空虚感すら感じます。
でも終幕がこない作品はありません。物語である以上、プロローグとエピローグは絶対に必要なもの。
今回の『シン・エヴァンゲリオン:||』はそういった意味でエヴァの幕をこれ以上ない形で引いてくれました。
ハッピーエンドという笑顔で別れを告げてくれました。寂しいかもしれません。
過去作は何度でも見ることになると思います。でも次回作を期待することはありません、悔いを残す事もありません。
僕は心からお礼を以てエヴァからの卒業となった次第です。

今週のお題「〇〇からの卒業」