神社に一礼

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武神『応神天皇』の母が眠る『神功皇后陵(五社神古墳)』

今回は奈良にある『神功皇后陵』のご紹介です。
武神応神天皇の母であるほか、自身も武勇で名を馳せた人物です。
古墳もかなり大きな部類に属し、かなり見応えのあり。では、今回は神功皇后陵に一礼。

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古墳概要

奈良北部『佐紀古墳群』北西にあり

この古墳があるのは奈良県北西部。奈良の平城京があった場所のちょうど北側一帯には古墳がいくつも点在します。『佐紀古墳群』といい、この古墳はその北西端に位置する場所にあります。

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古墳の大きさなど

古墳に関する情報はこんな感じ。

  • 正式名称:五社神古墳
  • 形状:前方後円墳
  • 墳丘長(縦):267m
  • 墳丘長(横):190m
  • 墳丘高:40m(方墳部)
  • 建造時期:4世紀末頃
  • 被葬者:神功皇后

このエリアにある古墳としては最大規模を誇ります。全国でも第12位の大きさ。
ただ、外周を巡ることが出来るのはその南側の拝所を含む南西部のみ。立派な古墳なだけに少しもったいない気もしますが、森のようになった部分には蛇なども棲んでいるらしいので、無理な散策は控えたほうが良いでしょう。

神功皇后概要

被葬者は神功皇后、第14代仲哀天皇の皇后で第15代応神天皇の母親にあたります。
女性ながら武勇に長けた伝説が数多く残っていて、熊襲征伐(ヤマト王権に対立していた九州の勢力)や三韓征伐(朝鮮半島にあった三国)と、ヤマト王権の強さが際立っていた中で各地を精力的に平定して回った人物です。

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次代の第15代応神天皇の即位にはライバルの異母兄に当たる二人の兄(麛坂王、忍熊王)がいたんですが、応神天皇誕生を知った二人は自分たちが天皇に即位できなくなることを恐れ挙兵。しかし麛坂王はその道中で、忍熊王も宇治での戦いで破り大津で自死に追いやり、応神天皇を改めて立太子(皇太子として定めること)します。
その後、新羅を再び征伐に向かいその帰りに百済からの貢物として七支刀を持ち帰るなどし、終始動乱の世を生き抜いた人物だったと言えます。

古墳散策

拝所

古墳へは西側に通る道沿いに参道が綺麗に整備されています。

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木のトンネルを抜けると途端に眼前が開けます。

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被葬者は確定ではないものの、柵の手前には神功皇后の文字がしっかりと刻まれています。

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古墳南西部のみ見物が可能です

この古墳は大部分が墳丘の外側にある森や池に阻まれて殆ど見て回ることが出来ませんが、唯一道に面している南西部のみ古墳を直接眺めることが可能です。

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拝所に続く南側の周濠は途中で途切れ、左右で高さの違う周濠が並んでいることになります。

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ただ、当時の文献には周濠自体なかったとするものも多い為、農業用なのか他の目的かは不明ですが後付けで造られたとも言われています。

柵は西側を伝って北の外周まで回ることができそうに見えますが、森との接合部には柵がされていて奥へ進むことは出来ません。

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仮に無理やり柵を越えて進んだとしても蛇が出たりするそうなので、いずれにせよ進まないほうが良いでしょう。

まとめ

今回はこれで以上です。
神功皇后は全国に数多くある八幡さんの神様『応神天皇』を授かった母親で、応神天皇は神様、つまり神様を生んだ神様とも人とも扱われる人物(?)です。
皇后なので当然天皇ではないにも関わらずかなり大型の古墳が築かれていることからも被葬者が違うとされる説もありますが、建造時期に矛盾はないので約1700年の歴史がある古墳であることは確か。悠久の時を越えて残るこの古墳を木々と綺麗に設えられた白砂と澄み渡る青空と、清々しい気持ちになれる場所です。