神社に一礼

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宮内庁『治定』雄略天皇陵古墳

今回は大阪にある雄略天皇陵古墳のご紹介。
以前にご紹介した第21代雄略天皇の古墳です。

www.aoimon.net

古墳ではしばしば起こり得る事象なんですが、そこら辺の解説も含め今回はこの雄略天皇陵古墳に一礼。

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古墳概要

この古墳があるのは大阪府羽曳野市、大阪南東部を構成する藤井寺河内長野辺りと一緒に地名としては河内と呼ばれ、世界遺産『百舌鳥古市古墳群』の東側エリア(西は堺市)を構成する一都市です。
上述の通り、エリア的には百舌鳥古市古墳群の東エリアに属していてもおかしくないようにも思えるのですが、そこら辺は学者さんによる定義とか分け方とかがあるのでしょう。とりあえずここで重要なのは何でかわかんないけどこの古墳は世界遺産の近所にある古墳扱いを受けているという事です。
被葬者は雄略天皇として宮内庁が治定しています。これは上述の通り先日ご紹介した『大塚山古墳』と被葬者が被るという事になる訳ですが、治定は一応『ここです』と結論付けている訳で、こっちの方が有力と宮内庁はしているようです。

古墳巡りをしているとしばしば被葬者被りは見かけることがあります☆

古墳ってご存知の通り大昔に作られた皇族、またはそれに近しい重臣のお墓です。
その歴史は歴史浅いもので1300年、古いものは2000年程度経過しているものもあり、見た目はこんな感じ、大文字のように被葬者の名前でも刻んでくれるならともかく、墓碑と言うものもありません。
じゃあ被葬者は文献や、作られた年代、埋葬品などから推定するしかなく、結局治定も推定もそこまでの重要度はありません。(勿論、宮内庁もそれなりの論拠があって初めて治定するんでしょうけど)
百舌鳥古市古墳群の代表格『大仙陵古墳』を昔、『仁徳陵古墳』と呼んでいたのがしらっと、呼び名が変わっているのがその典型例でしょう。研究経過とともに治定と事実が相違するというのはあり得る話なんでしょう。

被葬者や遺産登録というのは古墳の一つの構成要素ではありますが、重要なのはこの1500年以上前に作られた古墳が現存しているという事です☆

周遊散策

この古墳は直径75mの円墳、外周の濠が結構立派なので広く感じます。

拝所

墳丘の中心から少し東へ離れた場所に拝所があります。

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グーグルマップなどで見るとよく分かるんですが、墳丘中央から離れた位置にこの拝所は存していて、この拝所と円墳との間には住宅が建つわけでも濠がある訳でもない謎の空間があります。繋げると丁度東に向く前方後円墳に見えるんですが、その手前には濠があってしっかりと円墳を作っていて、何だか不思議感の多い古墳です。

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古墳北部

大阪の古墳の大部分は住宅街の中に溶け込むように建っていて、残っているのが逆に不思議なほど。この古墳もその例外ではなく、周りは散策出来ないほど住宅が隣接しているので、じっくり観察が可能なのは北側のみ。

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濠には生態系が息づいていて、周辺の方が亀や鯉などと戯れている姿はのどかそのもの。

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アクセス

大阪府羽曳野市府道12号線から北へ。目ぼしい駐車場はないのですが、敢えて言えば近鉄『高鷲』駅から徒歩でアクセスが一番現実的。

まとめ

今回はこれで以上です。
円墳で現存している場所は割と小規模なものが多いんですが、ここは円墳としては規模が大きいので見応えはあろうかと思います。
被葬者については残念ながらはっきりはしないものの、とりあえずそういう事は置いておいて純粋に古墳鑑賞と言う意味では穴場なので結構いい場所だったりします。


雄略天皇陵を散策。