神社に一礼

近畿圏内で神社・ラーメンを中心に『明日どこ行こ?』に答えられるブログを目指しています。

真田幸村終焉の地で思いを馳せる『安居神社』

今回は大阪にある『安居神社』のご紹介です。
豊臣家の居城だった大阪城のお膝元にあたる大阪には当時に縁のある場所が多く残っていてここもその一つ、真田幸村が終焉を迎えた場所として知られる神社です。
では今回はそんな安居神社に一礼。

f:id:aoi0730kanon0930:20200414232336j:plain

神社概要

神社があるのは天王寺茶臼山の北側ふもと

この神社があるのは大阪府大阪市天王寺公園の園内には茶臼山という山というより小高い丘のような場所があります。

www.aoimon.net

大坂の冬の陣・夏の陣ともに両軍いずれかが本陣を置き、戦いの舞台となった場所で、神社はそんな茶臼山から道を挟んだ北側に位置しています。

創建の歴史

この神社の創建は不詳ですが、元々は少彦名神がお祀りされているお社でしたが、942年から菅原道真公が祀られるようになったと伝わっています。菅公が太宰府に流されるときに風待の為に休憩をとったことから『安居』神社と名付けられたとも、天王寺三名水の井戸がある事から安井➩安居神社と言われるようになったとも言われていますが、はっきりした事は不明です。

御祭神とご利益

御祭神は2柱。

ご存知学問の神様として信仰厚い天神さんです。太宰府へ左遷される事となった際、この地にしばし留まられたというご縁からお祀りされるようになったようで、学業成就のご利益で名高い神様。

こちらも有名な薬の神様。菅公がお祀りされる前からこの神社の御祭神とされていた神様で、薬の神様であることから病気平癒、酒は百薬の長という言葉の通り昔は薬の一種としても扱われていたお酒の神様としても信仰される神様です。

アクセス

住 所:〒543-0062 大阪府大阪市天王寺区逢阪1丁目3−24

駐車場:なし。

近隣に駐車場は点在するものの、総じてかなり高いです。公共交通機関を利用するのが素直といったところでしょう。車での訪問を予定する方は、茶臼山東側にある天王寺公園駐車場が上限設定もあり、天王寺公園堀越神社、一心寺、四天王寺などこの辺りの観光スポットいずれにもアクセスが良いので使い勝手が良いかもしれません。

境内散策

神社の入り口は南北2つあります。南側はかなり間口が狭いので見落とし注意。

拝殿・ご本殿

境内の真ん中あたりにあるのがこの神社のご拝殿と御本殿。

f:id:aoi0730kanon0930:20200414222813j:plain

真田幸村終焉地

本殿すぐ脇に立つ石碑、これはこの地で真田幸村が終焉を迎えた事を示しています。

f:id:aoi0730kanon0930:20200414223045j:plain

絵馬の絵柄が六文銭だったりと、ここは確かに真田幸村縁の地であることがわかります。

f:id:aoi0730kanon0930:20200414231205j:plain

豊臣家の幕を閉じることとなった大阪夏の陣はこの神社のすぐ南で激戦が繰り広げられました。冬の陣と違い、大阪城防衛の要だった外堀も南側の内堀も埋められてしまっていた豊臣方は籠城戦が取れませんでした。
総力戦となった『天王寺・岡山の戦い』で、茶臼山に陣取った豊臣勢は数でも練兵でも圧倒的に劣っている中、勇将真田幸村毛利勝永らの活躍により徳川方を撃退、混乱に陥った本陣で大将徳川家康切腹を覚悟したほどだったんだとか。

徳川家康は戦巧者で、1573年の信玄公との戦い以降倒されたことがない馬印(大将のそばに立てられる目印のようなもの)が倒されたことからも相当に追い込んでいたことが窺えます☆

ただ、自力で勝りしかも大将の秀頼不在の豊臣勢は次第に巻き返しにあい、前線は瓦解し、最後には大阪城が落城し合戦は終結しました。。
散り散りに敗走する豊臣勢の中で、真田幸村はこの本陣すぐ北にあるこの神社境内で最後の時を迎えたと言われています。

f:id:aoi0730kanon0930:20200414223041j:plain

更にそこの横には悟ったような表情の真田幸村の像も建っています。その深い表情は色んな事を語りかけてくるようで、前にすると当時に思いを馳せてしまいます。

かんしずめの井

天王寺三名水(七名水とも)の一つとされている『かんしずめの井』という井戸があります。

f:id:aoi0730kanon0930:20200414230249j:plain
f:id:aoi0730kanon0930:20200414230246j:plain

この井戸の水を飲めば癇の虫が治丸という言い伝えからついた名前なんだとか。

まとめ

今回はこれで以上です。
この神社は本来は地元の人に親しまれるごくごく簡素な神社だったと思料します。
真田幸村所縁の地として訪れる人が多いかと思いますが、神社自体としても親しみ甲斐のある場所です。

f:id:aoi0730kanon0930:20200414231513j:plain