神社に一礼

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大阪の古墳を巡ろう『大塚山古墳』

今回は大阪府松原市にある『大塚山古墳』のご紹介です。
『百舌鳥・古市古墳群』が世界遺産登録される運びとなったのは、ほぼほぼ確実視されていたとはいえ、センセーショナルなニュースでした。
今回の古墳は大阪の古墳群の中心にあるんですが、分類上古墳群には含まれない大阪の古墳、だからといってモノがしょぼいとか消滅して今はないとかそういう訳ではありません。では、そんな松原市の大塚山古墳に一礼。

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古墳概要

この古墳は大阪府松原市にあります。大阪の古墳は堺を西、藤井寺羽曳野市辺りを東とした帯状に多数存在しているんですが、今回百舌鳥・古市古墳群はどうも西の仁徳天皇陵古墳がある百舌鳥地域、東の応神天皇陵古墳を中心とした古市地域の集中しているエリアのもののみが対象に含まれているようで、この古墳は群から離れているが故に世界遺産に登録されなかったちょっと切ない古墳です。

恐らく複数理由があるものと思われますが、古墳群のくくりには建造エリアと建造された時期が古墳時代全盛のものであるという事も共通項の一つとされているようです☆

世界遺産に登録されなかったから大したことないんや♪

などと侮るなかれ、墳丘長は335mと全国で第五位の大きさを誇るかなり見ごたえのある古墳です。
被葬者は第21代雄略天皇の古墳として治定(ここでは宮内庁がこの方の古墳です、と決定する事を指します)される古墳です。
雄略天皇は第19代允恭天皇の第5皇子として生まれます。大悪天皇の異名を持つ中々インパクトのある天皇なんですが、理由はその即位に至るまでの経緯にあります。
結構ややこしいお話なんですが、

先代の第20代安康天皇は叔父の大草香皇子に、叔母の草香旗梭姫皇女を雄略天皇の妃に差し出す様に命じます。大草香皇子はOKの返答をしたんですが、その仲介役にあった坂本臣はその返答に付けた押木玉鬘(豪華な髪飾りのようです。)が欲しくてたまらなかったらしく、そのまま自分のものにしてしまいます。その上で安康天皇には『大草香皇子は拒否した』とウソを報告。

ほう、ええ度胸しとるやんけ。。。

と、安康天皇は激怒してその怒りそのままに大草香皇子を殺害、そこまでなら臣下の謀によって生じた行き違いまでだったのかもしれないんですが、この後安康天皇は大草香皇子の妃の中蒂姫命をそのまま自分の皇后にしてしまいます。家臣も家臣なら君主も君主、中々自分の欲望に素直だったようです。
ただ、これが安康天皇の運命を別ける結果につながります、中蒂姫命の連れ子だった眉輪王は父を殺された恨みから安康天皇を殺害してしまいます。
因果応報と言うやつかもしれませんね。
これを受けて動いたのが雄略天皇、兄たちの黒幕説を疑い、兄二人と実行犯の眉輪王を抹殺、返す刀のようにして従兄弟にあたる市辺押磐皇子・御馬皇子も謀殺、これにより皇位継承争いのライバルを一掃した形になった雄略天皇は第21代天皇として即位する事となった訳です。
即位の経緯には若干諸説の違いがあるものの、雄略天皇周り一面血の海にして即位し、また、即位後もしばしば暴君的な振舞いも見られたことから大悪天皇の異名が付けられるに至ったという訳です。

この時代までの倭国は有力豪族が寄り集まった集合体に過ぎなかったのが、雄略天皇は大王(倭国の君主号)による専制君主制を目指します。その過程で、ライバルとなる有力勢力を武力で屈服させて行った事も悪名の一因になったのかもしれません☆

外周散策

ひらけた古墳なので、外周をゆっくりと鑑賞して巡る事が可能。

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拝所はないんですが、石で造られた橋が今でも残っています。これはこの古墳の数奇な歴史を物語る橋なんです。

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中世鎌倉時代頃に丹下氏がこの古墳を利用して丹下城を築きます。堀はあるし、小高いし、古墳ってある意味、城の立地には最適なのかもしれません。その後、城は織田信長によって取り壊されるんですが、江戸時代には前方部に村が築かれ、後円部には菅原神社がお祀りされます。
この古墳は最近(昭和3年)まで村。この橋は村への出入り口やったという訳です。

その他外周の画像

周りに遮蔽物がないので、天気の良い日にはとても気持ち良いです。地元民の方の散歩コースにもなっているみたいで、外周散策しているとよく人とすれ違います。

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個人的見解ですが、古墳には西日と夕日がよく合います。なんででしょう。

大阪の昭和の香りと相性がいいからじゃないかな☆

アクセス

大阪府松原市阪和自動車道側道『西大塚東』交差点東へ。

まとめ

今回はこれで以上です。
ここは幹線沿いからは奥まっていて良く見えないんですが、間近まで来ると遊歩道も整備されているので散策もしやすいので結構お勧めの場所やったりします。

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