今回は大阪府泉大津市にある泉穴師神社のご紹介です。
和泉國二之宮で、主祭神を農業の神である天忍穂耳尊、紡織の神である栲幡千々姫命の御夫婦二柱を祀る、この地域の産業が伺える神社です。
もう一つ、この神社の摂社には砂利敷の間が備えられているんですが、そこにはこの神社のパワースポットアイテム『五大力』の石が埋もれています。
では、今回はそんな五大力の石についてなども含め、泉穴師神社に一礼。
ご本殿へ
この神社は大阪府和泉大津市にある神社で、和泉国二之宮であるとともに、和泉五社の一社でもあります。
『和泉五社巡り』は結構由緒正しい神社巡りなんですよ☆
南側を正門とする鳥居は、住宅街に囲まれながらもまっすぐなアプローチが続く参道は西日も相まって中々絵になります。
二の鳥居の奥には、石造りの太鼓橋。
境内は南側が本殿に続く広場、西側から北側に掛けて本殿を護るように覆う『泉穴師の森』があります。ご本殿は、二の鳥居を抜けた真正面。鏡ではありません、ご拝殿前に鳥居が二つ置かれているのです。
ご本殿に一礼。
境内散策
境内を俯瞰した感じで一枚撮ってみました。向かって左に摂社が7社ほど並び、右手には社務所があり、こちらで御朱印などを頂きます。
五大力の石
境内左手の摂社の並びのうち手前側、大歳神(おおとしのかみ)や、八千鉾神(やちほこのかみ)、誉田別尊(こんだわけのみこと)の辺りは、砂利敷きになっています。
砂利は細かで丸い石が敷き詰められているんですが、この砂利には『五』、『大』、『力』の文字が書かれた石が混ざっています。力石といって、守袋に入れて鞄や部屋に掛ける事で、五大力(寿力、福力、体力、智力、財力)を授かる事が出来る、パワースポットです。
泉穴師の森
神社西から北に掛けてはこの神社の鎮守森『泉穴師の森』があります。
立派な古木も残っているものの、参拝当時この森は通行禁止とされていました。理由はこの惨状を見れば一目瞭然。
夏の台風の爪痕ということでしょうか、由緒ある寺・神社は特に古木が多いため、強風にさらされると甚大な被害が出て、修復はどうしても住居などを優先させざるを得なくなるので、こういう被害にまで手が回らないのかという状況が稀でなく目にします。
御朱印
御朱印は本殿右手の社務所で頂けます。先ほどの『五大力』の守袋の授与もこちら。
御由緒・ご利益
御由緒
この神社のご創建は諸説あり、いずれも定かではないものの、大化の改新前後かそれ以前とされているとても歴史深い神社です。正式に社領を賜り神社として確立された記録があるのは、738年、聖武天皇によるものとされています。和泉国は古来より大阪湾に面している交通・交易の要衝でもあったため、覇権争いが絶えなかったこともあり、時の政権・権力者との所縁が残されており、境内には楠木正成が奉納した灯篭や、織田信長が社領安堵の朱印状があったり、豊臣秀頼が再建した社殿が現存するものとされていたりと、昔からこの神社が厚く信仰されていたことが伺えます。
ご祭神・ご利益
この神社は
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)
の二神を御祭神としています。
天忍穂耳尊は素戔嗚尊の生んだご皇子の長男であると同時に、姉の天照大神から借り受けた勾玉から生まれ、生まれた後その勾玉を天照大御神に返却したことから天忍穂耳尊は天照大御神の子ともされます。
栲幡千千姫命は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の娘とされる機物(はたもの)の神様とされていて、繊維産業が盛んだったこの泉大津ほか、大阪各地で信仰されている神様です。
ご利益は、農耕・紡繊の繁栄、衣食の安定、虫封じ、厄除け、交通安全。昔の生活における困りごとそのもの、それだけ困ったときの神頼みとして厚く慕われてきた神社という事が伺えます。
アクセス
- 住 所:〒595-0023 大阪府泉大津市豊中町1丁目1−1
- 駐車場:あり
車の場合:大阪府泉大津市国道26号線西へ
まとめ
今回はこれで以上です。
泉大津市は大阪の下町の風情を残す閑静な町で、こういった地元の神社にも古来からの雰囲気がそのままに残った神社が多く点在します。
宮穴師の森は現在立ち入り禁止になっていて残念な限りですが、国道から少し離れ、森に囲まれた静かな雰囲気の神社はきっと日常の喧騒を忘れさせてくれる良い出会いになると思います。