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背景に和歌の浦の絶景を臨む『玉津島神社』


和歌山県というのは土台西側半分が全部海なので、基本的に西の方へ出かければ割と綺麗な景色を見ることが出来ます。そんな中でも絶景とされる内の一つが『和歌の浦』、今回はそんな和歌の浦をバックに建つ風光明媚な神社『玉津島神社』に一礼。

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神社概要

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神社があるのは和歌山県和歌山市

この神社があるのは和歌山県和歌山市。和歌山城下町の港『和歌の浦』という湾沿いに建つのがこの神社。

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本殿真裏にある奠供山(てんぐやま)からはそんな和歌山有数の景勝『和歌の浦』が一望出来るビュースポット。登るのがすこ~し辛いところですが、登ったかいはきっとありますので、頑張って登ってみたい神社です。

創建と御祭神

創建は奈良時代~古墳時代と推察

昔から景勝地・リゾート地、そして近畿の玄関口として重要視されてきた和歌山。そんな和歌山に建つこの神社の歴史は古く、古墳時代・奈良時代にかけ、神功皇后の紀伊半島進軍の折に稚日女命の加護を受けたご縁から勧請を受けて創建された言う記録があります。

紀州に朝敵が居たわけではないので、三韓征伐の帰りに二人の皇子(麛坂皇子と忍熊皇子)の反乱に遭い大阪に帰れず、荒天もあいまってやむなく避難したのがこの和歌の浦だった事を指しているのだと推察されます☆

御祭神は4柱

稚日女命(わかひるめのみこと)

天照大御神・素戔嗚命の兄弟神に当たる神様です。
素戔嗚命が暴れまわっていた余波で不幸な死を遂げてしまう神様ですが、その存在感はむしろその亡くなったとされる後のほうが強く、神功皇后が三韓征伐の帰りに瀬戸内海を経て大阪に凱旋しようとしたところ嵐に遭って帰れなくなります。
そんな時、この稚日女命が神功皇后のもとに現れ、自分を今の生田神社の場所にお祀りしてほしいという神託をします。神功皇后がそれに従うと嵐は収まり無事凱旋を果たすというお話が有名です。

息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

神功皇后の別名です。稚日女命と一緒にお祀りされている神社は意外と珍しいんですが、戦勝の女神様として熊襲征伐~三韓征伐、誉田別命誕生など数多くの伝説を残す神様。

衣通姫尊(そとおりひめのみこと)

第19代允恭天皇の皇后様で和歌の道に秀でた絶世の美女でした。光孝天皇の夢枕に降り和歌を詠まれたことに感銘を受けた天皇がこの神社に合祀することとされました。
以来、この神社が和歌の精進を目指す天皇・貴族に厚く信仰されることとなった神様でもあります。

参拝者の中には小倉百人一首の一つを詠った『大納言藤原公任』や世界三大美人の一人とされる『小野小町』等が挙げられます☆

明光浦霊(あかのうらのみたま)

この神様は人物像があるわけではありません。言うなれば聖武天皇の生んだ偶像神とでもいえばよいでしょうか。
景勝地で知られるこの和歌の浦の地は昔から絶景スポットとして多くの人を魅了し、聖武天皇もそんな魅了された内の一人でした。

その感動は1,2日で収まることがなく、その滞在日数は14日にも及んだとか☆

滞在中に登ったのが、この神社境内奥にある奠供山でその絶景に感動した聖武天皇はその眺望を明光浦(あかのうら)と名付け、玉津島神社に明光浦霊(あかのうらたま)をお祀りし、美しいこの景色が損なわれることのないように末永く守るように命じたこととされています。

住所・アクセスなど

外周道路半周に囲まれるようにして神社の境内があり、道路沿いに鹽竈神社、その裏に鏡山があり、駐車場はその鏡山を囲むように配置されています。

境内散策

御本殿・ご拝殿

入り口の鳥居を越えて程なく見えるのがこの神社のご拝殿と御本殿。

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鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

玉津島神社正面の鏡山裏側にある鹽竈神社。

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『しおがまさん』という愛称で地元の人に親しまれる子授け・安産にご利益があるとされる神社。御祭神は2柱。

  • 鹽槌翁尊(しおづちのおじのみこと)
  • 祓戸大神四座(はらへどのおおかみよざ)

鹽槌翁尊は山幸彦・海幸彦の伝説に登場する神様で、兄・海幸彦の釣り針をなくしてしまった弟・山幸彦に「綿津見神宮(わたつみのかみのみや)」へ行くよう助言したのが鹽槌翁尊。これは伝説は違いますが、みんなご存知竜宮城。山幸彦はこの龍宮城で豊玉姫と結婚し、楽しく暮らしていましたが、そのうちに3年もの月日が経過した際、地上に戻ることを決意。探しに来た兄の釣り針と「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」を貰い、地上へ凱旋します。
この2つの玉には霊力が宿っていて、その御力を以て山幸彦は海幸彦に忠誠を誓わせたというものです。

神社は鏡山の岩盤をくり抜いたような形をしていて、天然の洞窟に建てられた祠の様相を呈しています。

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奠供山(てんぐやま)

玉津島神社本殿の裏手にそびえるのがこの奠供山。

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石段の並びが少しいびつな為、足元を取られがちですが登りきった先の絶景は一見の価値あり。

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今も港町の眺望は見事ですが、昔のこの辺りは山々が浮島のように飛び出る群島のような場所だったらしく、今とは全く違う景色が広がっていたようです。

鏡山

玉津島神社正面側にあるもう一つの山がこの鏡山。

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海により近い側にあるので、現在はかえってこっちの方が眺望は良さそうですが、今と昔はこの辺りの眺望も違っていた加減かもしれません。

小野小町ゆかりの壁

世界三大美人の一人『小野小町』もここの熱心な参拝者の一人。

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参拝の折、この塀に袖(羽織)を掛けて和歌を詠んだとされます。

御朱印

御朱印は神社本殿向かって右の社務所にて頂けます。頂けるのは玉津島神社・鹽竈神社の2種。

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まとめ

今回はこれで以上です。
恐らく昔とは少し違う景色にはなっているだろうものの、今も昔もこの和歌の浦が多くの人に親しまれる景勝地であることに変わりはありません。
そんな和歌の浦を一番良い場所から眺めることとが出来るスポットでもあるこの神社はこの辺りを巡るなら是非一緒に回っておきたい場所です。

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