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南北朝時代の忠臣『結城宗広』公祀る結城神社


『結城』と聞いて誰を連想するでしょうか。戦国時代好きなら『結城秀康』を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
この神社でお祀りしているのは結城秀康、ではないんですが

ちゃうんかい?!

結城秀康の、というより結城家の祖先にあたる結城宗広という人物をお祀りする神社です。では、今回は結城神社に一礼。

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神社概要

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神社があるのは三重県津市

この神社があるのは最近は津餃子ですっかりおなじみの三重県津市。

www.aoimon.net

昔からお伊勢さんにお参りするには必ず通るルートとして、また東側が大きな湾になっていて、東の海の玄関口としても交通でも物流でも製造でも重要視されてきた町です。

御祭神は結城家のご先祖『結城宗広』公

この神社の御祭神は神様ではなく、結城秀康のご先祖にあたる結城宗広。

結城氏 – Wikipedia

後醍醐天皇による鎌倉幕府倒幕運動『建武の新政』というやつですが、この結城宗広は鎌倉幕府から陸奥南部(東北の方)の政務官を担っていた人物。幕府からの信任厚かった宗広は畿内での後醍醐天皇による一連の鎌倉討伐『建武の新政』における元弘の乱平定の為、はるばる陸奥から派遣されます。
そんな宗広でしたが、後醍醐天皇から討幕の命令(綸旨)を受けると後醍醐天皇方につき、新田義重らと一緒に鎌倉幕府討幕に成功します。

後醍醐天皇はこの功績をたたえ、奥州統治を任せたり、次男を側近に取り立てたりしています☆

やがて戦局は足利尊氏が京都へ攻め入り支配下に置くなど足利VS朝廷となると、朝廷軍を率いる一員として尊氏を京都から一度は追い出すも、九州から勢力を盛り返してきた尊氏との合戦に破れ、ホームタウンの奥州へ退却して再起を図ろうとするも船が難破。
漂着後この津市安濃津で病に倒れたということです。

創建は江戸時代に入ってから

この神社でお祀りされているのは上述の通り建武新政の時代に活躍した結城宗広公ですが、この神社が建立されたのは江戸時代、それも1824年と江戸も後期に差し掛かった頃になります。
それまでこの場所には宗広の墓と伝えられる『結城塚』があったんですが、津藩10代藩主の藤堂高兌(とうどうたかさわ)によって社殿が建立され、結城神社として宗広公がお祀りされるようになりました。
現在、後醍醐天皇の忠臣として建武新政で南朝方に尽力した武将たちがお祀りされる建武中興十五社の一社に数えられています。

アクセス・駐車場など

  • 住 所:〒514-0815 三重県津市藤方2341
  • 駐車場:境内に多数。

公園にも隣接していて、広々とした駐車場は梅満開の時期でもなければ問題なく停められるので安心して参拝できます。

境内散策

しだれ梅で有名なこの神社、境内は隣接する梅園も含め結構広々としています。

ご拝殿・御本殿

立派な二の鳥居正面奥に見えるのが拝殿と御本殿です。

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津市は工業地帯があったため、第二次大戦時空襲で甚大な被害を受けこの神社も全焼。社殿等は昭和30年代に再興されたものです。

狛犬

境内の中で異様なほどの存在感を放つのがこの狛犬。

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雄々しく左右に鎮座するこの狛犬は高さ1.4m。日本一を誇る狛犬だそうです。

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神君結城宗広公御墓陵

本殿左脇から抜けると御墓陵への入り口があります。

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墓碑銘には結城『神君』公之墓の文字。如何に宗広公がこの地で敬われてきたのかが窺えます。

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元々この地には塚があり、その上に六体の石地蔵が安置されていて『結城塚』と呼ばれていました。神社建立時に津藩主藤堂高兌が宗広公の忠節ぶりに感銘を受け、湊川に祀られる楠公に倣って塚を修理し、藩主自らこの墓碑銘を刻んだと言われています。

江戸後期、外国人とのいざこざが各地でちらほら聞かれるようになり太平の世が揺らぐ中、宗広公の行きた時代は自分たちの少し先の時代に見え、自分の姿を重ねて忠節を貫いたその生き様に感銘を受けた、そんな風に見受けました☆

梅園

墓陵の南側はそのまま梅園につながっています。

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青々とした景色も癒やされますが、この梅園には約300本のしだれ梅が植えられていて、シーズンにはこの木々が一斉に紅白に染まります。

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じゃらんnetより

桜とも梅とも違ったこの幻想的な風景は恐らくここでしか味わうことは出来ません。

御朱印

御朱印は本殿右手前の社務所にて頂けます。
シンプルながら力強い字の御朱印。

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まとめ

今回はこれで以上です。
この神社で一番有名なのはやはり梅ですが、梅まつり開催時期はやはり混み合うようです。宗広公はそのエピソードから航海安全のほか、病気平癒にもご利益があるとされていて、特に歯の痛みについては塩をお供えすることでたちどころにご利益が得られるとして『塩釜さん』なんていう呼び名でも親しまれています。
ゆっくり巡りたい神社なので、できれば梅の時期と梅以外の時期に分けてご参拝をおすすめします。

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