木村重成って誰やっけ?
同じ事二回言ったね?
真田丸と言えば大阪冬の陣で大活躍した豊臣方の要塞、何となく豊臣方武将と言う事をご存知の方もいるかと思いますが、その首は何故かこの彦根にある宗安寺で供養されているんだとか。では、今回はそんな木村重成と宗安寺に一礼。
寺院概要
どこにあるの?
このお寺があるのは滋賀県彦根市。彦根城の目抜き通り『夢京橋キャッスルロード』と言うんですが、ここは彦根城の観光時にはつい寄りたくなるお土産&食べ歩きストリートになっています。このお寺があるのはその道沿いで飲食店に囲まれるようにひっそりと佇んでいます。
木村重成
木村長門守重成といいます。真田幸村では勿論、豊臣秀吉や徳川家康を描いた大河ドラマなどでも登場し、そしていまいち脚光を浴びる事無く討死するので名前は知ってるけどどんな人か良く知らないという人も多いはず。
父親と兄は豊臣秀次に仕えていた武将で、秀吉からの自害命令を受けていわばついでに自害させられるという気の毒な一族ですが、この重成と母は助命を受けたため、以後秀頼の小姓として仕えるようになります。
やがてそんな近しい秀頼からの厚い信頼を受けて重臣となり、冬の陣の折には後藤又兵衛と共に大活躍した武将でもあります。
教科書では冬の陣は夏の陣とワンセットで大した扱いを受けていませんでしたが、今では豊臣方の圧勝と豊臣勢の活躍ぶりを示す一番の合戦になりましたね☆
そんな木村重成でしたが、大坂夏の陣では武運拙く討死、その首は一旦は徳川家康の元へ送られたものの、そののち井伊家家臣の安藤重勝が密かに持ち帰り、この宗安寺に供養したとされています。
この宗安寺に残っている首塚はその時のもので、その脇には安藤家の家紋と名前が刻まれ大事に安置されています。敵とはいえ、礼儀を忘れない。そんな念を感じられる場所ですね☆
境内散策
御本堂
境内中心にあるのがこのお寺の御本堂です。ご本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代の作で、淀君の念持仏と思われるものだとされています。
正門
引いて撮るのが難しいお寺の正門。立派ながら特段何も変わった所がないようですが、実は石田三成の居城だった『佐和山城』の正門を移築したものとされています。
木村重成首塚
首塚は本堂裏手の一般のお墓に並ぶようにして建っています。
周りは綺麗に掃除がなされているのと、塚の脇には今も残る『安藤家』の文字と家紋。
今も大事に供養されている様子が見て取れます。
本堂横手には木村重成と闘い、その時に負った傷が元になって亡くなった川手良行公の分家のお墓が順番に並んでいます。
地蔵堂と血染めのススキ
本堂向かって左手にあるのが、地蔵堂、そしてその脇にあるのは血染めのススキと呼ばれています。
木村重成の首が井伊家に持ちかえられた当時、井伊家の居城は佐和山城だったわけですが、その時洗った首がくるまれたのがこのススキ、正確にはその時から大事にされているすすきなんだそうです。
御朱印
御朱印は本堂向かって右手の寺務所で頂けます。情報がいっぱい詰まってます。
アクセス
住 所:〒522-0064 滋賀県彦根市本町2丁目3−7
駐車場:なし。
滋賀県彦根市内『夢京橋キャッスルロード』内。近隣にコインパーキング多数。
まとめ
今回はこれで以上です。
木村重成自身は物語の主役に中々ならない人物ですが、豊臣秀頼時代には外せないキーパーソンの一人です。
彦根観光に来たら、何となく彦根城を見物してお土産買って満足してしまいそう(実際参拝客0でしたし)ですが、ちょっとこのお寺にも目を向けてみましょう。