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新田義貞と滝口入道。二つのエピソードが眠る『滝口寺』


今回は京都嵯峨野にある『滝口寺』のご紹介です。
嵐山の奥地にある嵯峨野という地域にあるお寺の一つなんですが、趣深い境内と、実はあの名将新田義貞の首塚があったりと、穴場感満載。
今回はそんな滝口寺に一礼。

寺院概要

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京都嵯峨野にある小さな山寺

このお寺があるのは京都市右京区。当ブログでも何度か紹介している嵐山奥地の嵯峨野という場所。平時は嵐山の知名度が高すぎるのもあって、それほどスポットを当てられる地域ではありませんが、趣深い寺院などが多く、またそれらの殆どが秋には紅葉名所に早変わりするという正に穴場スポット。この滝口寺もそんな紅葉スポットの一つでもあります。

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寺にまつわる二つの物語

境内は山の斜面に建つ歩ける場所としては、結構こじんまりしたお寺ですがその歴史は古く、それ故に色んなエピソードが残っています。

新田義貞の首塚

活躍した時代だけに知る人ぞ知る武将といった扱いですが、南北朝争乱の南朝方の大将として勇名をはせた人物です。ここにはその首塚が収められています。

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南北朝時代は正に鎌倉幕府⇒足利室町幕府への移行の混乱期にあって、後醍醐天皇擁する南朝方とのちの室町幕府を開く足利家がついた北朝方が覇権を争った約50年戦禍に見舞われた時代です。

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結果から見れば南朝方が北朝の天皇を迎え入れ、北朝方が勝利したとされているものの、長く続いた戦乱によってすっかり両政権とも疲弊してしまったその間にすっぽり収まる形で室町幕府がのちに続く260年の礎を築いた時代。
新田義貞はそんな時代の中で必死に戦い、大きな活躍を見せるものの最後には敗軍の将として勝者となった足利家に追われる身となり、最後は越前の国で流れ弓に射抜かれ無念の最後を遂げたといわれています。この首塚は越前から京に運ばれさらし首にされていたところを、妻『勾当内侍(こうとうないし)』が密かに持ち出し、ひっそりとこの地に葬ったそうです。

滝口入道

元は平家物語にルーツを辿る明治時代連載された物語です。作者は高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう)。
平清盛が収める平氏全盛だった時代、清盛が催した宴に参加していた物語の主人公『斎藤時頼』は宴の余興で舞を披露した建礼門院(平重盛の妹)に仕えていた横笛に一目ぼれします。横笛の事が忘れられない時頼はその思いを伝えるべく文を送ります。数多の求愛を受ける横笛でしたが、実直で愛情溢れる時頼に心惹かれるようになります。
しかし、時頼の父はこの二人の恋愛を身分が違うとして許しませんでした。時頼は結ばれない相手への思いを断ち切るために出家、名前も滝口入道と改め修行に励むようになります。
一方で何も知らされなかった横笛は突然いなくなってしまった時頼を探すべく方々のお寺を訪ね歩きます。ある日、時頼が修行する往生院に辿り着き時頼の念仏を耳にした横笛は時頼に会いたいと懇願します。

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ですが、時頼は修行の妨げになるからと追い返してしまいます、目に涙を浮かべながら。更に横笛がこれから訪ねてこないようにと女人禁制の高野山静浄院へと身を移すという徹底ぶり、横笛はそれを知り悲しみのあまり病に臥せり、亡くなってしまいます。
それを聞いた時頼はますます修行に励み、高野聖(教義を広める為に諸国をめぐる人の事)となったとされているんだとか。
報われない身分違いの悲恋物語ですが、自分に探し回りあいに来てくれた横笛を涙しながら追い返す時頼の不器用さ、実直さと結局報われずなくなってしまう横笛の事を思うと何ともやりきれない気持ちにさせられる物語です。

アクセスなど

  • 宗 派:浄土宗
  • 住 所:〒616-8387 京都府京都市右京区嵯峨亀山町10−4
  • 駐車場:あり

駐車場は周辺三つの寺院共用のような位置関係にあり台数は3,4台程度。正直あまり期待できるものではありません。

境内散策

境内入口から階段を上り、その先にある庵から折り返してくるという行程でめぐるお寺です。紅葉も見事。

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入ってすぐにある新田義貞の首塚を横目に階段を上り、最奥にあるのがこのお寺の御本堂。中には先ほど掲載しました、滝口入道を訪ねてきた横笛を描いた絵が飾られています。

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きらびやかさやパワースポットと呼ばれるものはありませんが、代わりに何もない故の詫び錆びのようなものを味わえる場所になっています。

まとめ

今回はこれで以上です。
このお寺のすぐ近くに南北朝争乱を終結させた南朝方4代後亀山天皇陵があります。偶然とはいえ、同じ時代の同じ南朝方の天皇と総大将が同じ場所で眠るというのも奇運を感じさせられます。紅葉の季節以外はそれほど混雑もしていないので、通な観光名所としておすすめです。御朱印も直書きのみですが対応頂けます。

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